今朝は雨模様で天気予報と全然違うな~と思っていましたが、お昼ごろからお日さまが見え始め今はすっかりいい天気になりました。
GWも今日でおわり。毎年に比べると家でゆっくりできました。
読みたい本は以外に読めなかったけれど、断片的にあれもしなきゃこれもしなきゃと思っていたことが、少し整理できました。
小休止のあと、また明日からいろいろなことが動き始めます。
初夏の風にうながされて、どっこいしょと腰をあげて進みます。
感謝箱献金事務局のある京都市内は桜が満開になりました。
近くの幼稚園でははや鯉のぼりが空を舞っています。
こんなに穏やかな日はひさしぶりのような気がします。
自然はやっぱりいいな、自然にはよくも悪くもかなわないですね。
被災地にいる人々の自然を奪われた悔しさ、悲しさ。
今この空気がよごされ、緑がむなしくされたらと想像したいと思います。
先日息子の大学の卒業式がありました。
その記念品に学校のマークのはいった風呂敷がありました。
包み紙の説明によると、風呂敷の「包む」、「結ぶ」、「広げる」という使い方は
「幸せを包む」、「人を結ぶ」、「つきあいを広げる・見識を広げる」という意味に通じるそうです。
卒業生が人とのつながりを大切にし、さらなる見識を見につけ、それぞれの幸せを包み込むようにとの願いを込めて贈ったということです。
大きく使えて小さくしまえる風呂敷、自由に姿を変えられる所がすきですが、この文に出会ってますますすきになりそうです。
きのうは大震災から1年たった日、各地で各場所で、新たに祈りが献げられました。
個人的にも自分のこれまでを振り返り、これからの生き方を考える日々です。
明日の命にはなんの保障もないことや、人間は関係の中で生きていくものであることを思います。
復興というにはほど遠い状況だといわれる中、京都という離れた場所にいるけれど、懸命にこの状況に向き合っている多くの人々のひとりでありたいと思います。
今週水曜日から大斎節が始まります。
ブラジルのリオのカーニバルは、世俗的な欲望から身を慎む40日間の前に思い切り楽しむという趣旨だそうですが、思い切りお祭りをしたあときっぱりと静かな日々に入ることに、何か覚悟のようなものを感じます。
日本ではそのようなけじめ(?)はないですが、大斎節は冬の寒さ厳しい時期なので、それだけでイエスさまの40日40夜の苦難を偲べるような気持ちになります。
この40日のあとには必ず喜びの春のイースターを迎えます。
苦しさのあとには豊かなときが約束されているのか、子どものころのようにそれを素直に肯定しきれない自分がいますが、それでも、いやいや大丈夫と思う心もあり、その間を揺れ動きながら過ごす日々です。